創建は戦国時代。北條氏政の子、岩槻城主太田氏房が、早雲寺の子院として小田原に開山。 小田原城落城の際、焼失したと伝えられ、徳川家康が江戸神田に再興しました。 その後、下谷に移り、加賀前田家をはじめ諸大名を檀家とする江戸屈指の大寺院となりますが、関東大震災で寺域は焼失。 大正14年からこちらに墓地を移し、昭和46年に本坊も移されました。 墓地には、剣法の指南役として有名な柳生宗矩、三厳(十兵衛)父子の墓や、将軍家茶道指南役で庭園築造でも功績を残した小堀遠州の笠付棗形の墓、文禄・慶長の役で活躍した立花宗茂、江戸時代の詩人菊池五山、菊池秋峯、大内熊耳など、大名や学者、文人の墓所が数多くあります。 広大な境内には、加賀前田家や久邇宮家より譲り受けた立派な庭園もあるそうで、ぜひ参拝してみたいところですが、境内も墓地も拝観謝絶となっているので山門前で写真を撮るのが精一杯でした。