東京都内でも富士山に登れる!?江戸富士塚めぐり

富士山は標高3,776mと日本一の高さを持つ山です。
気高くそびえ立つ美しさを併せ持っており、古来より日本を象徴する山として親しまれています。

2013年には「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」として、世界遺産にも登録されました。

実は、そんな富士山のパワーを東京都内でも授かることができるのをご存知でしょうか。
今回は東京都内でも富士山に登れる!?江戸富士塚の特集です。

都内にある身近な富士山スポット「富士塚」

富士塚とは、容易に登ることのできない富士山を模して造られた人工の山です。
富士山の溶岩を持ち運んで築き、富士山の遥拝所ならびに代理登拝の場所としました。(詳しくは富士信仰の歴史をご覧ください)
富士塚は都内だけで50数カ所もありますが、その中でも代表的とされる「江戸八富士」を紹介します。

① 品川富士|品川神社

高さ15mもある品川富士は東京都内で最大の富士塚です。
1合目から9合目の標石が配されており、6合目より先は本物の富士山さながらの登山道を彷彿させる作りとなっています。
毎年7月1日の富士山開きに合わせて、品川神社内の浅間神社に富士講員一同が集まり、白装束で行われる「品川神社富士塚山開き行事」は、品川区の無形民俗文化財に指定されました。

② 千駄ヶ谷の富士塚|鳩森八幡神社

1789年(寛政元年)に造られ、当時の場所に現存する富士塚の中で都内最古とされています。山頂部分は富士山の溶岩(黒ぼく石)が配されており、奥宮を再現した作りになっています。
登り口が複数あり、また途中に「食行身禄(じきぎょうみろく)※」の像があるなど、本物の富士山との共通点が多くあります。
富士塚の前方には池も配され、これは江戸築造の富士塚の基本様式とされています。

※食行身禄:富士講中興の祖

③ 下谷坂本富士|小野照崎神社

1828年(文政11年)に山本善光によって造られた下谷坂本富士は高さ約5m、直径約16mあり、塚全体が富士山の溶岩で覆われています。
現在も原型を保っており、保存状態が良好な塚は貴重であることから国の重要有形民俗文化財に指定されました。

④ 江古田の富士塚|江古田浅間神社

高さ約8m、直径約30mと規模が大きい部類に入る江古田の富士塚は通称「江古田富士」として親しまれており、1839年(天保10年)に富士講の一派「小竹丸祓講」に築造されたと考えられています。
国の重要有形民俗文化財かつ練馬区登録有形民俗文化財に指定されました。
山頂に登れる時期は決まっていますが、山開きの時期だけでなくお正月も開山しているので、初詣に合わせて登ることができます。

⑤ 豊島長崎の富士塚|高松富士浅間神社

「下谷坂本富士」「江古田の富士塚」と共に国指定重要有形民俗文化財である豊島長崎の富士塚は1862年(文久2年)に築造されました。
山頂には大日如来坐像、山腹には小御岳石尊大権現碑など約50もの石造物が配されているのが特徴です。

⑥ 十条富士塚|十条冨士神社

「お富士さん」と呼ばれ親しまれている十条富士塚は、古墳と推定される塚の上に造られました。
山頂には地面を平坦に削って建てられた富士山の御神体の分霊を祀る石祠が、また中腹には富士山の5合目付近にある小御岳神社の石祠が安置されており、参拝することで富士山に登拝したことと同じご利益が得られます。

⑦ 音羽富士|護国寺

都内の富士塚のうち、唯一お寺の敷地内にある珍しい富士塚です。山頂には浅間神社が鎮座しており、小さい祠が多く安置されています。
江戸時代の頃は護国寺の本堂の西側にありましたが、1885年(明治18年)に現在地に移されました。

⑧ 高田富士|水稲荷神社

高さ約10mある高田富士は、1779年(安永8年)に造られ、江戸最古の富士塚として知られています。
当時は現在の早稲田大学の構内にありましたが、昭和30年代に現在の場所へ移されました。
山頂には鐘が置かれ、鳴らすことができます。鳴らし方は「長めに2回、短めに4回、最後に1回長く鳴らす」と良いそうです。登った際はぜひ挑戦してみてください。

富士信仰の歴史

富士山 信仰

そもそも富士山の信仰が始まったのはいつ頃なのでしょうか。

富士山に対する信仰の神社として「浅間神社(せんげんじんじゃ)」が創建されました。浅間神社は全国に1,300社以上あり、総本宮は静岡県の富士山本宮浅間大社です。

社伝によると、第7代孝霊天皇の時代に富士山が噴火し、長期にわたって被害を受けましたが、第11代垂仁天皇が浅間大神をお山麓にお祀りしたことで富士山を鎮めたと伝えられています。
806年(大同元年)に現在の地に社殿が建てられた後、火山の神・水源の神として崇敬を集めました。

地上から遥拝(遠くから拝むこと)する聖地だった富士山は、平安時代末期から登るものが現れ、修験の道場となっていきます。
室町時代には山頂への道が開かれ、遥拝だけでなく、登拝(信仰を目的として山に登ること)が行われるようになりました。

江戸時代になると、巡礼として集団で富士山を登拝する団体「富士講」が結成され、庶民の間でも富士登拝が盛行し、講員たちにより関東各地に富士塚が造られました。

現在でも富士塚は都内だけで50数カ所も残ることから、多くの人が富士山へ厚く信仰していたことがわかります。

富士信仰にまつわる神様について

富士山 桜

浅間神社には木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)が祀られています。

「木花」は桜を意味しており、桜のように美しい女性だったそうです。
その美しさは地上を治めるために天から降りてきた邇邇芸命(ニニギ)に一目惚れされるほど。

美しさだけでなく、激しい性格を持つ一面もありました。
その一面が表されているのが、古事記・日本書紀に書かれた以下のお話です。

天孫である邇邇芸命(ニニギ)に見染められた木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)はまもなくして子を授かりました。
しかし、邇邇芸命(ニニギ)は本当に自分の子であるのか、と不貞を疑ったのです。

疑いをかけられ、激怒した木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)は「燃え盛る炎の中で無事に産まれれば、邇邇芸命(ニニギ)、つまり天孫の子であることが証明される」と考え、産屋に火を放ち、その中で出産をしたのです。

宣言通り無事に子が3人産まれた為、邇邇芸命(ニニギ)の子であることが証明されたとなっていますが、この行動が激しい性格を表しています。

この神話のイメージと富士山が噴火する様子が重なり、また、美しさも共通のイメージであることから、富士山の神様は木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)となったと言われています。

都内の富士塚スポットを探す

都内には、紹介した江戸八富士以外にも多くの富士塚が残っています。
ぜひ、富士塚を巡って富士山のパワーを受け取りましょう。

登録されていないスポットはリクエストをすれば新たなスポットページを作ることができます。あなたの知っている富士塚スポットをぜひ教えてください。

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